『こころで読む宮沢賢治』

熊谷えり子 著 (でくのぼう出版)


本の紹介/文・成内

 直木賞作家、森荘已池が「彼がいなければ賢治の人生はどれほど孤独なものになったろう」といったほどの、かつての賢治の親友/藤原嘉籐治は、賢治について聞かれたときに、こう言っていたそうです。
  「宮沢賢治とはとんでもないへだたりがある。宮沢賢治を語るには賢治に次ぐ体験、学識、洞察力をもっている人間が、賢治に次ぐだけの値打のある人が語ってはじめて、賢治の真相が分かるのです。私は十三年、約十四年間同じにいましたけど、とても賢治の全貌も、変貌も語るだけの資格がないのです。」
 私も、熊谷さんの本をご紹介したい反面、嘉藤治さんと全く同じ心境が致します。そこで、賢治研究者であればどなたでもご存知の、長年に渡って第一線で賢治関係書籍を紹介し続けていらした田口昭典先生の言葉をかりながら、それにまつわる私が感じたりとりとめのないことを書かせてもらおうと思います。

 田口昭典先生は、この本に次のような言葉を寄せられています。


 賢治の作品を読む人達には、ふた通りあると思う、ひとつは「北極の、空のような眼をして」(フランドン農学校の豚)作品を批判し、解析し業績を上げ、名声を博したい人達と、賢治が死の直前に母へ「いつかは、きっと、みんなでよろこんで読むようになるんすじゃ」と言った、その賢治の言葉の通り作品を喜んで読む人達である。
 重箱の隅をつつくような枝葉末節に拘り、賢治の心からのメッセージを受け取れない人も居るが、この著者のいうように、頭で読まないで「心で読む」ことが出来る人は、幸福だと思う。
 第二部は、心で読んだ時に見えてくるものを、記録し、私たちに伝えてくれる。賢治を近寄りがたいと考えている人や、賢治作品の読書会のテキストにも好適と思われる、ただ第一部のテキストとは後の方がいいのでは、著者の謙遜からとも思われるが。

(宮沢賢治研究情報誌 あるひれお通信635号 2002.6.7) 


 短い文にも、本の魅力が見事に凝縮されているので、 一つ一つの言葉を良く見てもらえれば一番、この本についての価値が分かるだろうと思います。
 宮沢賢治は、人の為に走り回って、一緒に泣いたりオロオロしたりして、それでも褒められもせず、苦にもされない「デクノボウ」になりたいと、「雨ニモマ ケズ」の詩を手帳に書き残しています。賢治は、実際いつもみんなの痛みを自分のことのように感じ、いつも見えないところでひとしれず心をくだいて、生きていたと思います。だからこそ賢治のもっとも身近にいてそれを知る藤原嘉藤治さんは、賢治のすることの、思うことの「深さ、計り知れなさ」を感じていたのだとも思います。

 熊谷さんの宮沢賢治研究に関する学識もさることながら、でくのぼうの会に参加させてもらい、少し身近にいて私が目にするのは、熊谷さんのいつも人を先にする謙虚さ(でも、普通だと要領の悪い人、デクノボーと言われる…)と、見えないところで様々なご苦労をなさりながらも決して自分の犠牲などは表に見せず(ホメラレモセズ、クニモサレズ)、いっつも、人や木や動物達…みんなを自分のことのように思いやっている姿です。そういう賢治と同じ、ワンネス(みんな一つのいのち)の心を持つ熊谷さんだからこそ、賢治ワールドの小さな植物たち、弱い生き物達の痛み、 優しさそして、そういう「まこと」の世界を描きとった賢治の本心が見えてきたのではないでしょうか。
  人は、人知れずされた本当の思いやりを知るとき、そしてずっとそれに気付かなかったのものにいつか気付いたとき、感動して涙を流します。
 私もこの本を読んでいて、「ああ、そうだったのか」とその時の賢治の、そして童話に登場する生き物達の「本心」に触れて、同じ経験をしました。

 この本は、難しい言葉、哲学、概念、知識を持っていなくても(もちろん知識のある賢治研究者にも)、大人にも子供にも(ぜひ学校などでも使って欲しい)、誰にも奥深くしみ込む、そういう強く、そしてどこまでも優しいエッセイ集だと思います。沢山の方に読んで(又伝えて) 頂きたい本です。