『でくのぼう』は普通〈役立たず〉というような意味で、人をバカにする言葉ですが、宮沢賢治は「雨ニモマケズ」の中で「ミンナ二デクノボートヨバレ(・・・)サウイフモノニ/ワタシハナリタイ」と言っています。
 私たちは賢治が「ナリタイ」(理想)と言った「でくのぼう」とは、自分のことよりも先に他者(世界全体)のために生きる人、無私無償の愛と奉仕に生きる人だと考えています。賢治作品の中では、こんなでくのぼうさん達がキラキラと描かれています。
 ここは、「ホメラレモセズ、クニモサレズ」一生懸命に現代を生きる、「でくのぼう」への思いを拾い集めて発信するコーナーです。          
                  
    H15.12.16 匿名希望さん  お手紙より

匿名希望さんより  でくのぼう宮沢賢治の会の皆様へ  

 前略。
 「虔十公園林」を読んで、この話の魅力について何か書きたいといつも思っていました。
 今、私は「うつ病」という診断をされ、病院に入院中です。
 やっと最近、本を読む気力がでてきたので、講談社から出てる 「宮沢賢治全集」という本を買い、久し振りに「虔十公園林」を読み、賢治さんの言葉をそのまま並べて詩のような形にしてみました。
 
 「虔十笑う」「若い博士」という二篇の詩を投稿させていただきます。        2003.12.16


    虔十 笑う

 
 虔十 笑う
 風がどうと吹いて 
 ぶなの葉がチラチラ光るとき
 うれしくてうれしくて
 虔十 笑う

 大きくあいた口の横わきを
 さも痒いようなふりをして
 指でこすりながら
 はあはあ息だけで
 虔十 笑う

 欠伸でもしているかのように
 唇をピクピク動かして
 子供らにばかにされようとも
 ごまかしごまかし
 虔十 笑う

 空よく晴れて
 山の雪まっ白に光り
 ひばりは高く高くのぼって
 チーチクチーチク
 そして 虔十も笑う

 兄さん ありがとう
 おっかさん ありがとう
 おとうさん ありがとう
 杉の苗さん ありがとう
 虔十 笑う

 学校帰りの子供たち
 一列になって杉の木の間を行進だ
 青い服着た杉の木たちも
 列を組んであるいている
 みんなみんな 歩いている

 杉のこっちにかくれながら
 口を大きくあけて
 はあはあはあはあ
 よろこんで よろこんで
 虔十 笑う

 風がどうと吹いて
 ぶなの葉がチラチラ光るとき
 うれしくて うれしくて
 虔十 笑う
 虔十 笑う

 


   若い博士
 

 若い博士が帰ってきたよ
 十五年ぶりに帰ってきたよ
 なつかしい故郷に帰ってきたよ
 昔のおもかげさがしたよ
 でも畑や森は変わってしまい
 町の人たちも知らない人ばかり
 ところがところがあったんだ
 そして博士はつぶやいた
 「ああ、ここはすつかりもとの通りだ。
  木はかえって小さくなったようだ。
  みんなも遊んでいる。
  ああ、あの中に私や私の昔の友達が
  居ないだろうか。」と

 「ああ、そうそう、
  ありました。ありました。」
 若い博士は憶えていたよ
 あの虔十のこと憶えていてね
 遠い記憶を話してあげたよ
 みんなみんなに話してあげたよ
 それからね
 彼は半分ひとり言のように言いました
 「ああ、まったくだれがかしこく
  だれが賢くないかはわかりません。
  ただどこまでもどこまでも
  十力の作用は不思議です。」と 

 若い博士が名付けた森を
  「虔十公園林」というんだよ
  まったくまったくこの公園林
  杉の黒い立派な森
  さわやかな匂い
  夏のすずしい陰
  月光色の芝生
  これから何千人の人たちに
  ほんとうのさいわいが何だかを
  教えるか数えられません

 

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