『センス・オブ・ワンダー』

 レイチェル・カーソン 著/上遠恵子 訳
(新潮社)


本の紹介/文・今井

 センス・オブ・ワンダー(The Sense of Wonder)−あえて日本語に訳すならば、「神秘さや不思議さに目を見はる感性」とでもいえるでしょうか。しかし、「センス・オブ・ワンダー」は、やはり「センス・オブ・ワンダー」としか言いようがないのかもしれません。その言葉には、他にも様々な意味が込められているように感じるからです。
 本書は、レイチェルが甥のロジャー(正確には姪の息子)と一緒に、海辺や森の自然の中で過ごした経験をもとに書かれた、エッセイ風の作品です。ロジャーとともに体験した自然の描写だけでなく、レイチェル自身がそれまでに体験してきた自然、そしてその自然に対する思いが、美しい言葉とやさしい文体で綴られています。そして、美しく神秘的な自然を素直に感じることの出来る「センス・オブ・ワンダー」を子どもとともに育むことの大切さを、静かに語りかけてきます。また、本を開けば、この文章にピッタリの、はっとするような素晴らしい写真が目に飛び込んできます。
 レイチェル・カーソンは、『沈黙の春』の著者として有名ですが、この『センス・オブ・ワンダー』は意外と御存じない方も多いかもしれません。しかし、彼女の『沈黙の春』の執筆を彼女自身の中で支えたのは、まさにこの「センス・オブ・ワンダー」であったことを、私は信じて疑いません。 
  レイチェルは『沈黙の春』を執筆中にガンに冒され、最後の仕事としてこの『センス・オブ・ワンダー』に手を加え始めました。そしてこの作品をさらにふくらませて単行本として出版しようとしていたのですが、時は待ってくれませんでした。死後、彼女の友人たちの手によって出版されたこの『センス・オブ・ワンダー』は、レイチェルの遺言ともいうべき作品なのです。
 環境問題が盛んに叫ばれる現代だからこそ、農薬の危険性は誰もが承知していますが、農薬が使われ始めたばかりのレイチェルの時代に、その実態を突き止め、膨大な科学的データに基づき、論理的にかつ一般市民に分かり易く訴えていく事は、決して容易なことではなかったはずです。誹謗中傷し邪魔立てする勢力と闘いながら、そして自身の病気とも闘いながらも、彼女は大作『沈黙の春』を書き上げました。そうまでして彼女を執筆に向かわせたのは何だったのでしょうか。それはいのちを純粋に愛する心です。そしてそのいのちのために正しいことを求めていく心です。すなわちそれがセンス・オブ・ワンダーなのです。
 本書『センス・オブ・ワンダー』を読み、レイチェル・カーソンの生きざまをみていくと、センス・オブ・ワンダーとは、美しいものを美しいと素直に感じる幼子のような心でもあり、不思議さや神秘さに敬虔な気持ちを抱く心でもあり、真理を真摯に求めていく心でもあるといえそうです。そして何よりも、等身大にいのちを見つめる目が根底にあるのではないでしょうか。
 いのちはひとつ(ワンネス)として見ていた宮沢賢治も、レイチェル・カーソンと同様、生涯センス・オブ・ワンダーを持ち続けた一人に違いありません。だが、彼らが特別なのではありません。センス・オブ・ワンダーは誰にでも持てるのです。持とうとさえすれば。子どもに出来るのですから。 私たちはそれを長い間忘れてしまっていただけなのかもしれません。ならば子どもに返って自らのセンス・オブ・ワンダーを呼び戻してみませんか。きっと、自分の人生をも、地球の未来をも変える大きなきっかけになるはずです。    

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 この本は、実は2001年に長編記録映画として映画化されています(『センス・オブ・ワンダー〜レイチェル・カーソンの贈りもの』製作/グループ現代 監督/小泉修吉)。私はこの映画を二度観ましたが、まさに「癒しの映画」という感じでした。上遠恵子氏の朗読を通じて、様々な自然界の姿が映し出されていきます。凝った技巧などは全くない素朴な映画ですが、その自然の映写は、決して唯物的な撮影の仕方でなく、人間の自然界に対するやさしいまなざし(センス・オブ・ワンダー)が感じられるものでした。だからこそ自然界は本来の美しさをもって目に映りました。自主上映なのでなかなか普通には観られませんが、もし機会があれば、ぜひ本と併せてご覧になることをお勧めします。