西暦 |
賢治年表 |
文学・芸術史
(文芸は黒・演劇は青・映画は緑・
音楽は赤に色分けしてあります) |
主な出来事 |
1896年
(明治29)
0歳
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8月27日 父政次郎、母イチの長男として岩手県稗貫郡里川口村川口町303番地(現花巻市豊沢町)に生まれる。当時家業は質・古着商。弟妹は、トシ、シゲ、清六、クニ。仏教篤信の家庭で幼時より経文を唱える |
11月23日 樋口一葉没
11月25日 神戸・神港倶楽部にてキネトスコープ一般公開
森鴎外「めさまし草」創刊
与謝野鉄幹詩集「東西南北」
巌谷小波「日本お伽噺」
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4月 第1回オリンピック開幕
6月15日 三陸大津波
8月31日 陸羽大地震 |
1898年
(明治31)
2歳
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11月5日 妹トシ生まれる |
新渡戸稲造「農業本論」
徳富蘆花「不如帰」連載開始 |
6月22日 自由党と進歩党が合同し、憲政党結成。 11月分裂 |
1899年
(明治32)
3歳
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伯母ヤギが、賢治に「正信偈」や「白骨の御文章」を子守歌のように聞かせる。賢治はこれを仏前に正座して暗唱していた。 |
1月15日 「中央公論」発刊
6月1日 東京・神田の錦輝館が、初のニュース映画「米西戦争活動大写真」を上映
6月20日 東京・歌舞伎座で初の日本映画「日本率先大写真」が上映された |
2月1日 東京−大阪・神戸間に長距離電話が開通
北海道旧土人保護法成立。アイヌの同化主義政策を目的としたもの |
1902年
(明治35)
6歳
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赤痢を病む。父政次郎も看病中感染 |
1月1日 前年完成した明治座が舞台開き。「松竹」の始まり
9月19日 正岡子規没 |
1月30日 日英同盟成立 |
1903年
(明治36)
7歳
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4月 花巻川口尋常高等小学校に入学。担任は菊池竹次郎
童話を好み、石や虫を採集し、綴り方に長じていた |
10月1日 浅草電気館が、日本初の活動写真(映画)常設館となった
10月30日 尾崎紅葉没 |
11月15日 幸徳秋水・堺利彦らが平民社設立
12月17日 ライト兄弟、初の動力飛行を行う |
1904年
(明治37)
8歳
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小学校2年生 担任は平野八十八
4月1日 弟清六生まれる |
与謝野晶子「君死に給ふこと勿れ」 |
2月10日 日露戦争勃発 |
1905年
(明治38)
9歳
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小学校3年生
担任の八木英三先生から「まだ見ぬ親」(五来素川翻案、マーロー原作「家なき子」)、「海に塩のあるわけ」(民話「海の水はなぜ辛い」)など童話や民話を読み聞かされる |
1月1日 日露戦争活動写真を興行
夏目漱石「吾輩は猫である」連載開始
石川啄木「あこがれ」
上田敏訳「海潮音」
ジョルジュ・メリエスの映画「月世界旅行」日本で公開 |
日露講和条約調印
盛岡市にはじめて電灯がつく
アインシュタインが相対性理論発表 |
1906年
(明治39)
10歳
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小学校4年生
鉱物、植物、昆虫採集、標本作りに熱中
8月 父の始めた第9回「夏期仏教講習会」に参加 |
島崎藤村「破壊」
夏目漱石「坊っちゃん」発表
世界初のアニメ映画「魔法の万年筆」アメリカで公開 |
3月 東北地方大飢饉
6月 南満州鉄道株式会社(満鉄)の設立の勅令が公布 |
1907年
(明治40)
11歳
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小学校5年生 担任はクリスチャンの照井真臣乳
鉱物採集に熱中し、家人から「石っこ賢さん」と呼ばれる |
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1月21日世界恐慌はじまる |
1908年
(明治41)
12歳
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小学校6年生 担任は谷藤源吉
綴り方「遠方の友につかはす。」「皇太子殿下を拝す。」を書く |
9月15日 東京・芝に「帝国女優養成所」が開所。主宰者は川上貞奴
イタリアで「ポンペイ最後の日」公開 |
3月7日 青函連絡船(青森−函館間)運行開始
4月28日 初のブラジル移民が出航 |
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1909年
(明治42)
13歳
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2月 綴り方「冬季休業の一日。」を書く
3月 花城尋常高等小学校卒業、成績優等で「高等小学読本」などを与えられる
4月 県立盛岡中学校(現県立盛岡第一高等学校)入学。寄宿舎自彊寮に入る。鉱物採集や星座に熱中 |
1月 「スバル」創刊
3月 北原白秋「邪宗門」
10月 田山花袋「田舎教師」
11月27日 小山内薫、2世市川左団次の自由劇場第1回試演
人形浄瑠璃の「文楽座」が松竹に移譲された |
10月26日 伊藤博文暗殺 |
1910年
(明治43)
14歳 |
中学2年生
6月 博物教師に引率されて岩手山初登山。その後たびたび登る
9月29日 同室の親友藤原健次郎病死 |
4月 雑誌「白樺」創刊
6月 柳田国男「遠野物語」
7月14日 東京音楽学校の人たちが中心となり文部省編集の「尋常小学読本唱歌」(文部省唱歌)が発行
12月 石川啄木「一握の砂」 |
5月 大逆事件の検挙始まる
5月19日 ハレー彗星大接近
8月 韓国併合 |
1911年
(明治44)
15歳
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中学3年生
哲学書を愛読。短歌の創作開始。教師への反抗的態度が見られる
5月 小岩井農場へ遠足
8月 盛岡市北山、願教寺の「仏教夏期講習会」にて島地大等の法話を初めて聴いたと推定 |
3月1日 帝国劇場完成。4日から初興行
11月 フランス映画「ジゴマ」日本で公開。大ヒットした
平塚らいてう「青鞜」創刊 |
辛亥革命。清朝崩壊
8月21日 警視庁が特別高等課(特高)を設置
8月 朝鮮教育令公布 |
1912年
(明治45/大正元)
16歳
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中学4年生
5月 仙台方面へ修学旅行。初めて海を見る。一人菖蒲田に病気の伯母平賀ヤギを見舞う。歎異鈔に感動 |
4月 石川啄木没
9月10日 日本初の本格的映画会社日活設立
10月 「ジゴマ」上映禁止令
12月 島崎藤村「千曲川のスケッチ」 |
6月26日 富山県で米騒動。全国に拡大
7月 明治天皇没。大正と改元 |
1913年
(大正2)
17歳
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中学5年生
3月 新舎監排訴の動きにより全員退寮させられ、賢治は盛岡市北山、清養院(曹洞宗)に下宿
3月12日 祖母キン死去 |
1月 森鴎外「阿部一族」発表
9月 中里介山「大菩薩峠」連載開始
この年、風紀壊乱を理由とする発禁処分が相次ぐ |
東北、北海道で記録的な大凶作 |
1914年
(大正3)
18歳
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3月 盛岡中学校卒業
4月 肥厚性鼻炎手術で岩手病院に入院。手術後発疹チフスの疑いのある高熱のため再入院、看護婦に片思い。父、看病中に倒れて入院
5月末退院。島地大等編「漢和対照妙法蓮華経」に感銘。家業を手伝いながら高等農林学校受験準備 |
2月2日 「成功争ひ」で、チャールズ・チャップリンデビュー
4月1日 宝塚少女歌劇第1回公演
10月 高村光太郎「道程」 |
7月28日 第1次世界大戦勃発
8月23日 ドイツに宣戦布告
10月 田中智学、日蓮主義の在家仏教教団・国柱会を設立 |
1915年
(大正4)
19歳
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1月 盛岡市北山の教浄寺(時宗)に下宿
4月6日 盛岡高等農林学校農学科第二部に主席入学。寄宿舎自啓寮に入る。主任教授は関豊太郎。妹トシも、東京・目白の日本女子大学校家政部予科に入学
土、日は登山、鉱物標本採集 |
5月 田中智学指導「日蓮主義研究叢書」全9巻刊行開始
5月22日 ロンドンで、三浦環(たまき)がプッチーニ作曲のオペラ「蝶々夫人」の主役を演じた
5月27日 亭劇で小林愛雄訳・オッフェンバックのオペレッタ「ブン大将」を初演 |
1月 袁世凱政府に対華21ヶ条要求 |
1916年
(大正5)
20歳
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3月 修学旅行で東京、京都、奈良の農事試験場を見学。特待生に選ばれ授業料免除となる
4月13日 盛岡高農2年生。寄宿舎の賢治の部屋に新入生5名が入る。その中に保阪嘉内がいた
5月1日 おそらくこの年(もしくは翌年)の開校記念日による記念祭で、賢治の寄宿舎9室のメンバーで芝居を上演。賢治が脚本を書き、保坂が主役を務めた
5月20日 自啓寮懇親会にて、各寮の出し物の中、賢治たち9室は保阪嘉内作「人間のもだえ」を上演。賢治は全智の神ダークネス役で出演
7月 関教授の下で盛岡地方の地質の調査。月末には上京してドイツ語講習を受ける
9月 関教授の下で秩父地方の土性地質調査見学に参加 |
5月1日 浅草六区の常磐座(喜劇)・金竜館(オペラ)・東京倶楽部(映画)3館共通入場券を導入
6月 帝国劇場歌劇部解散
夏頃 伊庭孝と高木徳子により歌舞協会が組織される
10月1日 喜歌劇専門の小劇場赤坂ローヤル座が組織される
11月 高村光太郎訳編「ロダンの言葉」
12月 夏目漱石没 |
6月 原敬・加藤高明・犬養毅3党首会議で政党政治確立を約束
吉野作造が「民本主義」大正デモクラシーを指導 |
1917年
(大正6)
21歳 |
1月 家の商用で上京。途中芝居見物する
3月 再び特待生となり、旗手を命ぜられる。『校友会会報』に筆名「銀縞」で短歌「雲ひくき峠等」を発表
4月 盛岡中学に入学した弟清六と盛岡市内に下宿
7月1日 小菅健吉、保阪嘉内、河本義行と同人雑誌「アザリア」第1号刊行。次号予告に「戯曲(甲州劇場台本黙劇一幕)黒き焼石の丘 宮沢賢治氏」とある。(実際には短歌8首と短編「旅人のはなし」などを発表)
9月16日、祖父喜助死去 |
1月1日 浅草六区に観音劇場が開業
1月22日 歌舞劇協会が浅草六区常磐座で伊庭孝作「女軍出征」を初演。この成功からいわゆる浅草オペラの時代の幕開けとなる
2月 萩原朔太郎「月に吠える」
「主婦の友」創刊
8月1日 警視庁が活動写真取締規則を発令。客席を男女別に |
3月 ロシア2月革命
9月 金輸出禁止
11月 ロシア10月革命 |
1918年
(大正7)
22歳
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1月 父と卒業後の進路について対立
2月 「アザリア」5号に断想「復活の前」を発表。卒業(得業)論文「腐植質中ノ無機成分ノ植物ニ対スル価値」提出
3月 盛岡高等農林学校卒業。親友保阪嘉内、退学処分となる
4月 研究生としての在学が許可される(のち盛岡高等農林学校実験指導補助を嘱託される)。稗貫土性調査が始まる。徴兵検査、第2種乙種、徴兵免除となる
6月末 肋膜炎となり1カ月静養。童話の制作を始める。「アザリア」6号(終刊号)に短編「峯や谷は」を発表
8月 童話「蜘蛛となめくじと狸」、「双子の星」を家族に読んで聞かせる
12月 妹トシ入院との報せで母と上京。翌年3月まで滞在 |
6月 徳島の収容所でドイツ兵がベートーベンの交響曲第9番を演奏。日本での初演とされる
7月 「赤い鳥」創刊
「新しき村」創刊 |
10〜11月 スペイン風邪大流行
11月11日 第1次世界大戦休戦条約設立 |
1919年
(大正8)
23歳
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東京で人造宝石の製造販売の職業を計画するが、父の反対にあう。萩原朔太郎の詩集「月に吠える」に出会い感銘を受ける
3月 トシ日本女子大学卒業。病気療養から退院したトシと共に帰郷。家事に従事。浮世絵版画の収集を始める。無署名「手紙」を配る |
牧野省三、ミカド商会を設立。教育映画を作り始める。のちにマキノ教育映画製作所に発展 |
6月28日 ヴェルサイユ条約締結 |
1920年
(大正9)
24歳
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5月20日 盛岡高等農林学校研究生を終了。関教授からの助教授推薦の話を辞退。短編「猫」「ラジュウムの雁」を書く
夏 短編「女」を書く
9月 妹トシ、母校の花巻高等女学校教諭心得となる。英語と家事を担当
11月 国柱会信行部に入会。父にも改宗をせまる |
2月 佐々木喜善「奥州のザシキワラシの話」
4月24日 日本館が歌劇から外国映画上映に方向を変え始める
9月3日 新星歌舞劇団、根岸興行部専属となり、浅草の金竜館を拠点に根岸大歌劇団と改称する。本格オペラに取り組んだ
9月 田中智学、日刊新聞「天業民報」創刊
12月 山田耕筰、日本楽劇協会を結成
東京・蒲田村に松竹キネマ合名会社が本格的撮影所を開設 |
5月 東京上野で日本最初のメーデー
6月 マルクス著・高畠素之訳「資本論」刊行開始
11月15日 国際連盟創設 |
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1921年
(大正10)
25歳
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1月23日 家出上京。国柱会本部で高知尾智耀に会う。本郷菊坂町75稲垣方に下宿。文信社の校正、筆耕の仕事に就きながら街頭布教や奉仕活動をする
2月 高知尾智耀から文芸によって法華経の教えを広めるように勧められ、創作活動始まる
4月 上京した父と関西旅行
7月 親戚である関徳弥に、「書いたものを売ろうとしている」旨の手紙を送る。また、このころより信仰の不一致から保阪嘉内と疎遠になっていく
8月中旬 トシ病気のため、帰郷。このときまで浅草へ通い、オペラなどを見ていたものと思われる
9月 雑誌『愛国婦人』に童謡「あまの川」を掲載
9月15日 「鹿踊りのはじまり」を書く
10月 花巻高等女学校の音楽教諭藤原嘉藤治と知り合う
12月3日 稗貫農学校教諭となる代数・農産製造・作物・化学・英語・土壌・肥料・気象・水田稲作実習などを担当
『愛国婦人』に童話「雪渡り」を発表。稿料5円を得る
このころから、花巻高等女学校の音楽担当教諭藤原嘉藤治と親交を結ぶ
この年、「竜と詩人」、「かしはばやしの夜」、「どんぐりと山猫」、「月夜のでんしんばしら」、「注文の多い料理店」、「狼森と笊森、盗森」、「烏の北斗七星」など多くの童話を創作。上京時には脚本も書いていた |
1月 志賀直哉「暗夜行路」前編連載開始
2月6日 アメリカでチャップリンの「キッド」公開
8月10日 伊庭孝、奈良県生駒山に生駒歌劇団を結成
8月下旬 横浜朝日座、歌劇公演を打ち切る
12月31日 金竜館が改築再開 |
5月 稗貫農学校開校式
11月 原敬首相暗殺
12月 ワシントン会議 |
1922年
(大正11)
26歳 |
1月6日 のちに「春と修羅」に収録される詩を書き始める
2月 本格的にドイツ語、エスペラント語を勉強し始める。「精神歌」を書く。これに川村悟郎が作曲し、稗貫農学校の効果的扱いを受ける(最終的には校歌にする話を辞退した)。他に「黎明行進歌」「角礫行進歌」「応援歌」を作る
6月20日 コミックオペレット「生産体操」(のち「飢餓陣営」と改題)の草稿
8月 「イギリス海岸」を書く
9月 農学校にて劇「飢餓陣営」を初演。生徒6名と岩手山登山
11月27日 トシ死去。「永訣の朝」、「松の針」、「無声慟哭」を書く |
3月20日 根岸大歌劇団がビゼーのオペラ「カルメン」初演。そのコーラスで榎本健一(エノケン)デビュー
7月 森鴎外死去 |
3月 全国水平社創立
4月 日本農民組合結成
8月 有島武郎、北海道の狩太農場400町歩を小作人に無償解放
11月 アインシュタイン来日
12月 ソビエト社会主義共和国連邦成立 |
1923年
(大正12)
27歳 |
1月4〜11日 上京。上京中の弟清六を訪ね、童話原稿を「婦人画報」へもっていくようにいう。また、としの分骨を静岡県三保の国柱会本部へ赴き、納骨手続きをとる。この間、鶯谷の国柱会館で田中智学作の国性劇を鑑賞
4〜5月 『岩手毎日新聞』に詩「心象スケッチ外輪山」(「東岩手火山」)、童話「やまなし」、「氷河鼠の毛皮」、「シグナルとシグナレス」を発表
5月初旬 来演中の東京大歌舞伎を見るため盛岡へ行く
5月25日 花巻農学校開校式の記念行事として、「異稿植物医師」「飢餓陣営」を昼夜二回監督上演した
7月 農学校生就職依頼のために青森、北海道経由樺太旅行へ出発。トシへの挽歌群を書く
8月 帰郷。国柱会機関紙『天業民報』に詩「青い槍の葉」他を発表
12月20日 童話集刊行の意志を持ち「序」を書く
12月25日 上京して図書館に通い、映画、演劇を鑑賞 |
1月 萩原朔太郎詩集「青猫」刊行1月 菊池寛編集「文芸春秋」創刊
1月 帝国劇場がイタリアのカービ歌劇団を招待し、ヴェルディのオペラ「リゴレット」と「アイーダ」、プッチーニのオペラ「トスカ」を上演
9月1日 関東大震災により浅草六区壊滅。根岸大歌劇団、東海・関西を中心に巡演
12月20日 根岸台歌劇団が帰京して、報知講堂にて震災後初の東京での浅草オペラ公演を行う
萩原朔太郎詩集「青猫」刊行 |
1月 婦人参政権同盟結成
9月1日 関東大震災 |
1924年
(大正13)
28歳 |
1月20日 詩集「春と修羅」の刊行の意志を持ち「序」を書く
2月 童話「風野又三郎」の原稿筆写を教え子に依頼。「空明と傷痍」を書くことにより詩集「春と修羅」第二集の作品が始まる。
4月20日 「春と修羅」自費出版
5月 生徒と北海道修学旅行
8月10〜11日 農学校にて昼夜二回にわたり「飢餓陣営」「種山ヶ原の夜」「ポランの広場」「植物医師」を上演。一般公開する
12月1日 イーハトーブ童話「注文の多い料理店」刊行
12月 「銀河鉄道の夜」初稿成立 |
3月 根岸大歌劇団解散。この後、元根岸大歌劇団の関係者がいろいろな歌劇団を結成し公演を行ったが、いずれも短期間で解散
3月 谷崎潤一郎「痴人の愛」連載開始
6月13日 築地小劇場が開場
12月 山村暮鳥没
そして1925年後半頃からオペラにかわって映画、剣劇、安木節が流行っていき、浅草オペラ関係の新聞広告も見られなくなった |
1月 第二次護憲運動開始
9月 文部大臣岡田良平により、学校劇禁止令
11月東京放送局(現=NHK)設立 |
1925年
(大正14)
29歳 |
1月 三陸旅行
2月 森佐一(荘已池)とはじめて会う
4月〜6月にかけ、知人数人に「教師を辞めて百姓になる」という旨の手紙を書く
7月 草野心平と交わり、草野編集「銅鑼」に詩を発表。森荘已池編集「貌」に、「鳥」「過労呪禁」、「過去情炎」(8月)を発表
8月 早池峰山登山。その際「河原坊(山脚の黎明)」、「山の晨明に関する童話風の構想」を書く
11月 東北大学の早坂一郎博士をイギリス海岸に案内してバタグルミ化石を採集
12月 「冬(幻聴)」を発表。岩手日報に変名にて「法華堂建立勧進文」発表 |
4月 草野心平「銅鑼」創刊
6月26日 アメリカでチャップリンの「黄金狂時代」公開 |
1月20日 ソ連と国交を回復
3月29日 普通選挙法成立
4月22日 治安維持法成立
5月 中国・上海で反日デモ |
1926年
(大正15/昭和元)
30歳
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1〜 3月 尾形亀之助編集『月曜』に「オツベルと象」、「ざしき童子のはなし」、「寓話 猫の事務所」を発表
3月末まで岩手国民高等学校で農民芸術論を講義
3月31日 花巻農学校を依願退職
4月1日 花巻町下根子桜で独居生活を開始。岩手日報に「農学校を辞し、新しい農村の建設に努力する宮沢賢治」が報じられる
5月 開墾や音楽の練習、レコードコンサートを始める。この頃より町内や近郊に肥料設計事務所を設け、肥料相談や設計を始める
8月 土曜日に近所の子供に童話を読み聞かせる。妹クニらと八戸旅行
8月16日 羅須地人協会を設立。11月頃から定期的に集会をもつ
12月 チェロを持って上京。上野図書館やタイピスト学校で勉強。オルガン、チェロの練習、エスペラントを学習。29日、帰郷
12月 松田甚次郎に初めて会う |
1月 川端康成「伊豆の踊子」連載開始 |
この年、無産政党が次々に新党を結成する。
12月25日 大正天皇没。昭和と改元 |
1927年
(昭和2)
31歳
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1月 『無名作家』4号に詩「陸中国挿秧之図」を発表。羅須地人協会で講義
2月 『岩手日報』に羅須地人協会の記事が出て、社会主義運動との関係を疑われ、警察の事情聴取を受ける
3月8日 松田甚次郎来訪、生涯の教訓を与える
9月 『銅鑼』に「イーハトーブの氷霧」を発表
12月 盛岡中学『校友会雑誌』に詩を発表。花巻温泉南斜花壇を作る。この頃までに肥料設計図2千枚を書く |
4月 高村光太郎「ロダン」刊行
7月24日 芥川龍之介自殺
8月 松田甚次郎、自作戯曲「水涸れ」を携え花巻へ、賢治の助言を仰ぐ
9月 松田甚次郎、「水涸れ」を上演
9月1日〜10月31日 日本最初のレビュー、宝塚少女歌劇団の「モンパリ」がヒット
世界初のトーキー映画「ジャズ・シンガー」公開 |
3月24日 南京事件
5月 関東軍に出動命令
7月 島地大等没
10月 農民文芸会機関誌「農民」創刊 |
1928年
(昭和3)
32歳 |
3月 『聖燈』に「稲作挿話」(未定稿)を発表。稗貫郡石鳥谷で肥料相談に応じる
6月 東京で浮世絵や演劇鑑賞。伊豆大島旅行、伊藤七雄、チエ兄妹と会う。「三原三部」を書く。日照りで稲作指導に奔走
8月8日 民俗学者佐々木喜善に返書を出す
8月10日 過労により病臥。羅須地人協会を中断する
12月 急性肺炎になる |
9月 高橋新吉「高橋新吉詩集」刊行
11月 草野心平「第百階級」刊行
12月 萩原朔太郎「詩の原理」刊行 |
3月 共産党員大検挙
5月21日 野口英世死去
6月 張作霖爆死事件。治安維持法改定 |
1929年
(昭和4)
33歳 |
4月 東北砕石工場主の鈴木東蔵が来訪、以後交際が始まる。病床に中国の詩人で、陸軍士官学校生が訪問。高等数学を勉強
12月 佐々木喜善へ原稿を送る(内容は不明) |
4月 島崎藤村「夜明け前 第一部」連載開始
4月 小津安二郎監督「大学は出たけれど」公開
5月 小林多喜二「蟹工船」連載開始
10月 横光利一・川端康成・堀辰雄ら「文学」創刊 |
1月 労農大衆党結成
4月 共産党弾圧大検挙
10月 ニューヨークの株式大暴落。世界恐慌はじまる
11月 労農党結成 |
1930年
(昭和5)
34歳 |
病状やや回復し、園芸に熱中
9月 陸中松川の東北砕石工場を訪問
10月 「まなづるとダァリア」校訂終わる
11月 『文芸プランニング』に詩「遠足許可」等4編を発表 |
5月 横山エンタツ、花菱アチャコが大阪でデビュー
12月 三好達治「測量船」刊行 |
1月 金輸出解禁。昭和恐慌
7月 プロレタリアエスペラント協会結成 |
1931年
(昭和6)
35歳 |
2月 東北砕石工場技師となり、宣伝販売を受け持つ
7月 『児童文学』第1冊に童話「北守将軍と三人兄弟の医者」を発表
8月頃 「風の又三郎」の執筆進む
9月 教え子の沢里武治に「風の又三郎」<どっどどどどう>の歌の作曲を依頼。20日 石灰宣伝で上京中に発熱、遺書を書く。28日 帰郷、自宅で病臥
11月3日 手帳に「雨ニモマケズ」を書き留める |
1月 佐々木喜善「聴耳草紙」刊行
5月22日 前進座が創立
7月 草野心平「宮沢賢治論」発表
日本初のトーキー映画「マダムと女房」公開
アメリカでチャップリンの「街の灯」公開 |
9月 満州事変
10月 東北・北海道冷害凶作 |
1932年
(昭和7)
36歳
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3月 『児童文学』第2冊に「グスコーブドリの伝記」を発表。挿絵は棟方志功
8月 『女性岩手』創刊号に文語詩「民間薬」、「選挙」を発表
11月 『女性岩手』に「祭日」、「母」、『詩人時代』に「客を停める」を発表 |
1月 新美南吉「ごんぎつね」発表
5月14日 チャップリン来日 |
1月 上海事変
3月 満州国建国
5月 五・一五事件
7月 ドイツ選挙でナチス第一党となる |
1933年
(昭和8)
37歳 |
3月 『天才人』6号に童話「朝に就ての童話的構図」を発表
4月 『現代日本詩集』に「郊外」、「県道」を発表
7月 『女性岩手』に「花鳥図譜七月」を発表
8月 病状悪化にもかかわらず農民の肥料相談に応じる
9月21日 法華経1千部を印刷して知人に配布するよう父に遺言して、午後1時半死去。享年37歳
9月23日 安浄寺(浄土真宗大谷派)で葬儀。法名「真金院三不日賢善男子」 |
2月 小林多喜二虐殺される
5月 堀辰雄編集「四季」創刊
8月 東京松竹楽劇部が松竹少女歌劇団と改称。 発足は1928年。 1945年に松竹歌劇団と改称
9月 巌谷小波没
10月 「文学界」創刊
11月30日 東京・有楽町の数寄屋橋のたもとに日本劇場(日劇)が完成 |
1月 ドイツ、ヒットラー内閣誕生
3月 日本、国際連盟脱退
3月3日 三陸沖地震
4月 軍国化教科書の登場 |
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参考 「年譜 宮沢賢治伝」 堀尾青史 編著 中公文庫
「年表作家読本 宮沢賢治」山内修 編著 河出書房新社
「土に叫ぶ」松田甚次郎 著 羽田書店
「映画誕生物語」内藤研 著 小峰書店
でくのぼう宮沢賢治の会 会報誌1・3号 |